魔法先生ネギま!で人が死ぬことだって?

テスト週間なのにこんな面白い記事を見てしまっては・・・。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10056687241.htmlネギま!部屋(楊さんのページ別館)
http://d.hatena.ne.jp/skerenmi/20071122/1195717170ネギま!部屋(楊さんのページ別館)
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http://d.hatena.ne.jp/adagium/20071123/p3ネギま!部屋(楊さんのページ別館)
http://hazukistnew.blog25.fc2.com/blog-entry-43.htmlネギま!部屋(楊さんのページ別館)

まぁとりあえず読むこと。上3つでもいいけど。

やっぱこういう尖がった意見を見るのは楽しいね。
尖がった意見にこそ考える価値がある。


それで話に入ると、のどかと夕映は最後まで死なない。

赤松先生が読者の読みたいものを書くってスタンスだからって理由もあるが、31人のクラスメイトで作る物語であるということは変えないと思うから。31人が互いに影響し合いながら物語に影響を与えるからこその魔法先生ネギま!である。31人の影響は最後まで、最後が来ても消えない。でも、それがイコール死なないだとは言えない。「人は死んでもその人を知る人の中で生き続ける」ので、たとえ死んでいてもいろいろなところで生きており、物語に影響は及ぼせるから。ただし、先に書いたように、のどかと夕映は最後まで死なない。彼女たちには死後に影響するだけの蓄えが無いから。彼女たちのことはネギも読者もよく知っているため、彼女たちの人格の大部分が既知である。既知である彼女たちが影響を及ぼし続けるには未知である未来から材料を取ってこなくてはならない。そのためにのどかと夕映は死ねないのだ。
これが超だと話は変わる。超には無限ともいえる未知がある。ネギたちとは完全に別の世界、別の時代を生きていた上に常人でもない。これならば死んでもまだ描くことはいっぱいだ。今は物語から一旦退場しているが、死ななかった以上また帰ってくることもあるだろう。だが以上で挙げた理由により、クラスメイトの中で死ねる立場にいる数少ないメンバーであることは間違いない。(超が大人になって帰ってきてネギを守るために犠牲になり、後に超の子供がクラスメイトになる。という妄想をした)

上に「最後まで」と書いた。
これは最後の最後になれば死ぬこともありえなくはないということ。愛する人のために犠牲になるというのは尊いことだし、のどかは純粋にそれができる娘だ。何よりのどかにそうされたときの夕映の様子が見てみたい(笑)
まぁ読者の望みが"奇跡"を起こさせるのでどうあがいても死なないとは思うが、死ぬ覚悟を持って行動することは大いにあり得るはずだから、これをもって死と代えさせていただきます、ということで。


(死ぬほどの状況で)死なないとぬるいのか?っていうと、ぬるいってよりは面白くない。
まぁぬるいってことか。
でもまだ死ねる人がほとんどいないから仕方ないよなぁ。

ネギま!はぬるい話だよ。敵が徹底してないもの。
それにまだ話は序盤だからこんなもんだ。

シャーマンキングのハオくらいの敵がいないとね。彼は力を持っていてそれをきちんと行使するからいい。
ワンピースはつまらない。いくら攻撃をもらっても死なないから。死なないのがつまらないのではなく、敵の攻撃を食らってボロボロになるくらい弱いのに勝つからつまらない。



それにしても各所で展開されてるリーダーだとか責任だとかの話は難しいなおい。
私は物事を考えるときに変な倫理なんて考えるもんじゃないと思ってるんで何も語れません。
それぞれ個人がどうするべきか考えて行動すればいい。責任はどこにも発生しない。自己責任ですらないと考えます。


昨日の夜と今日の午前ともう考えすぎて自分の書いてることも定まらない。新しいことを文章に書くというのは大変だな。ネギまの現状整理な部分は楽だったのに・・・。

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